土用の丑の日。今年は少しだけ贅沢をしました。
スーパーへ行くと、いつも以上にたくさんのうなぎが並び、「土用の丑の日」の文字が目に飛び込んできます。
テレビでも「今日は土用の丑の日です」と紹介されるこの季節。
「今年もうなぎを食べようかな。」
そんな気持ちになる方も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
今年は少し奮発して、以前から気になっていたお店で、家族とうなぎをいただくことにしました。
ところが、お店へ向かう前に、ふと疑問がわいたのです。
「そういえば、どうして土用の丑の日にうなぎを食べるんだろう?」
子どものころから当たり前のように食べてきたので、一度も深く考えたことがありませんでした。
そこで少し調べてみると、思いもよらない事実を知ります。
実は、うなぎの旬は夏ではなく冬。
「えっ、それなのに、どうして夏に食べるの?」
さらに読み進めると、その答えは約250年前の江戸時代にありました。
しかも、それは一人の発想から始まったとされる、今でいう「広告」や「マーケティング」のような話だったのです。
250年前のアイデアが、今も私たちの「今日はうなぎを食べよう」という気持ちにつながっている。
そう思うと、今年の土用の丑の日は、いつもより少し特別な一日に感じられました。
今回は、おいしかった「せいろ蒸し」の話とともに、「なぜ土用の丑の日にうなぎを食べるようになったのか」を調べてみたことを書いてみたいと思います。
土用の丑の日。今年はちょっと贅沢に
うかがったのは、福岡・天神にある博多鰻屋 藤う那 天神本店(https://tenjin-fujiuna.com/)です。
西鉄グランドホテルの1階にあるお店で、以前から前を通るたびに気になっていました。
ホテルの中にあるので少し敷居が高いのかなと思っていたのですが、入口は落ち着いた雰囲気でありながら、気軽に入りやすい空気があります。
「いつか家族でゆっくり食事をするなら、こんなお店がいいな。」
そんなことを以前から思っていたので、土用の丑の日という特別な日に訪れることにしました。
お店に入ると、店内はゆったりとしていて、とても落ち着いた雰囲気。
にぎやかすぎず、静かすぎず、家族でゆっくり食事を楽しむにはぴったりのお店でした。
普段、うなぎを食べるときは、どうしても香ばしい蒲焼きにひかれてしまいます。
そのため、うな丼やうな重を選ぶことがほとんど。
せっかく今日は少し贅沢をする日。
「たまにはいつもと違うものを選んでみよう。」
そう思って、今回は白焼きとのハーフをお願いしました。
ひと口いただくと、うなぎは驚くほどふわふわで香ばしい。
しかも脂っこさはまったく感じず、とても上品な味わいでした。
食べている途中は、
「もう少し食べたいな。」
と思っていたのですが、食べ終わるころには不思議なくらい満腹に。
見た目以上の満足感があり、「白焼きって、こんなにおいしかったんだ」と新しい発見になりました。
「そういえば、どうして土用の丑の日には、うなぎを食べるんだろう?」
毎年当たり前のように迎えてきたこの日ですが、その由来を知ると、この一膳がさらに味わい深いものになったのです。
「なぜ土用の丑の日にうなぎ?」を調べてみた
子どものころから、土用の丑の日にはうなぎを食べるものだと思っていました。
毎年スーパーにたくさん並び、テレビでも話題になるので、「夏の風物詩」というイメージがあります。
でも、改めて考えてみると、不思議です。
「なぜ、土用の丑の日にはうなぎなの?」
調べてみると、まず「土用」とは、季節の変わり目である立春・立夏・立秋・立冬の前、およそ18日間のことをいうそうです。
その期間の中で十二支の「丑」にあたる日が、「土用の丑の日」。
「土用の丑の日」は夏だけではなく、春・夏・秋・冬、それぞれの季節にありますす。
私たちがよく耳にするのは、夏の土用の丑の日だけだったのですね。
さらに調べていくと、もう一つ驚いたことがありました。
実は、天然うなぎの旬は冬。
夏ではありません。
「えっ?それなのに、どうして夏にうなぎを食べるようになったの?」
ますます気になって調べてみると、江戸時代にたどり着きました。
当時、夏はうなぎがあまり売れず、お店は困っていたそうです。
そこで相談を受けたのが、発明家や蘭学者として知られる平賀源内。
「本日、土用丑の日」という張り紙を店先に出すことを提案したという、有名な説があります。
当時は、「丑の日には『う』の付く食べ物を食べると夏負けしない」という言い伝えもあったため、その宣伝が評判となり、多くの人がうなぎを買い求めるようになったそうです。
もちろん、この話を裏付ける決定的な史料は見つかっておらず、あくまでも有力な説の一つとされています。
それでも、江戸時代の終わりごろには、「土用の丑の日にうなぎを食べる」という習慣が広く定着していたことは、当時の文献からも分かっています。
私はこの話を読んでいて、歴史の面白さを感じました。
「昔からの伝統」と思っていたものにも、ちゃんと始まりがある。
しかも、その始まりが、一人のアイデアだったかもしれない。
そう思うと、何気なく迎えていた土用の丑の日が、急に身近なものに感じられました。
250年前の広告が、今も私たちの「今日はうなぎを食べよう」という気持ちを動かしている。
そう考えると、土用の丑の日は、歴史や食文化だけでなく、「マーケティング」という視点から見ても、とても興味深い出来事でした。
250年前の広告が、今も私たちを動かしている
平賀源内の話を知ったとき、私は思わず笑ってしまいました。
「私も250年前の広告戦略に乗せられていたんだ。」
スーパーへ行けば、うなぎがずらりと並び、「土用の丑の日」の文字が目に入ります。
テレビでも特集が組まれ、「今年もこの季節がやってきました」と紹介される。
その様子を見て、
「今年もうなぎを食べよう。」
そう思った私は、まさに250年前から続く流れの中にいたのです。
でも、ここでふと思いました。
もし本当に平賀源内のアイデアが始まりだったとしたら、それはただの広告だったはずです。
普通、広告は一度見たら終わりです。
数日後には忘れられ、新しい広告に変わっていきます。
ところが、土用の丑の日は違いました。
250年もの間、人から人へ受け継がれ、親から子へ伝えられ、毎年夏になると思い出される。
一つの広告が、これほど長い時間をかけて暮らしの中に根づいた例は、そう多くないのではないでしょうか。
そして私は、もっと大切なことに気づきました。
250年も続いた理由は、「広告が上手だったから」だけではない。
きっと、人々がその習慣を楽しみ続けてきたからです。
「今日は少し贅沢をしよう。」
「家族でうなぎを食べに行こう。」
そんな小さな楽しみが毎年積み重なって、「広告」はいつしか「文化」へと姿を変えていったのでしょう。
今日、私も家族と一緒にせいろ蒸しを囲み、おいしいね、と笑いながら食事をしました。
それは、250年前の誰かが考えた宣伝に乗せられた時間ではありません。
家族と季節を感じながら過ごした、大切な夏のひとときです。
そう思うと、私は「広告に乗せられた」というより、
250年続く日本の文化を楽しんでいた。
そんな気持ちになりました。
来年もきっと、土用の丑の日が近づけば、スーパーにはうなぎが並ぶでしょう。
そして私はまた、「今年も食べようかな」と思うはずです。
そのときはきっと今日のことを思い出しながら、少し笑ってしまう気がします。
250年前の広告が、今年も私をうなぎ屋さんへ連れてきてくれた。
「広告」は「文化」になった
今回、土用の丑の日について調べてみて、私は一つのことを考えました。
私たちは「昔からの伝統」と聞くと、何百年も前から自然に続いてきたものだと思いがちです。
でも、その始まりをたどってみると、一人の発想や、小さな出来事がきっかけになっていることも少なくありません。
土用の丑の日のうなぎも、その一つなのかもしれません。
もちろん、平賀源内の話は有力な説の一つであり、すべてが史実として証明されているわけではありません。
それでも、「夏に売れないうなぎを、どうすれば食べてもらえるだろう」という発想が、多くの人の心を動かし、今日まで受け継がれてきたと考えると、とても興味深いものがあります。
そして、250年も続いてきた理由は、広告が成功したからだけではないのでしょう。
その習慣を「いいね」と思う人がいて、「今年も食べよう」と楽しむ人がいて、家族や友人と季節を感じながら食卓を囲んできた。
そんな時間が積み重なったからこそ、「広告」は「文化」へと育っていったのだと思います。
考えてみると、日本には季節と食べ物が結びついた行事がたくさんあります。
お正月のおせち料理。
節分の恵方巻。
大みそかの年越しそば。
春の七草がゆ。
どれも、その日だからこそ食べる楽しみがあります。
土用の丑の日のうなぎも、その仲間なのですね。
私は以前、「今日は土用の丑の日だから、うなぎを食べよう」と思うだけでした。
でも今年は、その理由を知ったことで、同じうなぎでも少し違う味わいになりました。
「なぜそうなったのか」を知ったことで、一つの食事が物語になった。
そんな気がしたのです。
何気なく過ごしている毎日の中にも、「どうして?」と思って調べてみると、思いがけない歴史や、人々の知恵に出会えることがあります。
そして、そのことを知るだけで、いつもの暮らしが少しだけ豊かになる。
私は、そんな時間をこれからも大切にしていきたいと思います。
来年もきっと、私はうなぎを食べる
食事を終えてお店を出るころには、おなかも心も満たされていました。
「今日はおいしかったね。」
そんな何気ない会話をしながら帰る時間も、土用の丑の日ならではの思い出になりました。
家に帰ってから、「すっかり250年前の広告戦略にはまっていましたね。」と笑いました。
でも、今は少しだけ考えが変わりました。
確かに始まりは、一つの広告だったのかもしれません。
けれど、250年もの間、人々が毎年「今年もうなぎを食べよう」と思い、家族や友人と食卓を囲み、季節を感じながら楽しんできたからこそ、この習慣は今日まで受け継がれてきたのでしょう。
そう考えると、私は広告に乗せられたのではなく、
250年続く日本の文化を楽しんでいた。
来年もきっと、スーパーにはうなぎが並び、「土用の丑の日」の文字を目にするでしょう。
そして私はまた、「今年も食べようかな」と思うはずです。
そのときは、今日調べたことを思い出しながら、少し笑ってしまうかもしれません。
「そういえば、うなぎの旬は冬だったな。」
「250年前の広告が、今年も私をうなぎ屋さんへ連れてきた。」
そんなことを思いながら食べるうなぎは、きっと今年よりも、もう少しだけ味わい深いものになっている気がします。
毎日の暮らしの中には、「どうして?」と思いながらも、そのまま通り過ぎてしまうことがたくさんあります。
でも、ほんの少し立ち止まって調べてみると、思いがけない歴史や、人々の知恵、そして昔から受け継がれてきた文化に出会えることがあります。
そんな小さな発見が、いつもの暮らしを少しだけ豊かにしてくれる。
私はこれからも、身近な「なぜ?」を大切にしながら、暮らしの中で見つけた発見を、このブログに書き残していきたいと思います。
来年の土用の丑の日。
またおいしいうなぎを食べながら、「250年続く日本の文化を楽しんでいるんだな」と思えたら、それだけで十分幸せです。


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